どうして僕はドイツに行ったのか?どうして日本に帰ってきたのか?そしていまはなにをしているのか?

どうして僕はドイツに行ったのか?どうして日本に帰ってきたのか?そしていまはなにをしているのか?

 

はじめに

去年の6月2日、僕はドイツから日本へ帰って来た。この一年という日を契機に、僕がドイツに行った理由と帰ってきた理由について書きたい。書きながら自分がドイツへ行った理由や、日本へ帰って来た理由を思い出したい。
どういう経路でぼくが今現在がいる場所へ来たのか、記憶を辿り、整理する。現在地が分かれば、自然と次の目的地が分かる。
僕の人生は懐中電灯の弱い光を頼りに真っ暗な迷路を歩いているようなものだ。少し前は見えるけど、遠くは見えない。一歩進めば、いくつか道が見える。道さえ見えれば―どっちの角を曲がればいいのか―その判断は僕にはさほど難しくない。でもその判断をするためには、いままでどういう経路を辿ってきたのか、それを確認する必要がある。
僕が今しようとしているのは、そういう行為だ。
数年毎に僕は自分の生活環境をガラッと変えている。
住む場所、仕事、人間関係、言語、文化、とにかく自分をどこか新しい環境に放り投げる。ちゃんとした計画は立てずに、その度にゼロから自分のするべきを考える。
こういう自分の経験について書いて、誰の役に立つのか具体的にはイメージ出来ない。
でも僕は貧相な想像力を働かせて考えてみる。
「何かを変えたい!!」なんとなく漠然と思っている人の思考の足し、あるいはひとつのサンプルとして少しは役に立つんじゃないのかなと思う。
案ずるよりも産むが易し。やる前は心配だけど、やってみたら思ったよりも簡単に出来る。
前置きが思ったよりも長くなってしまった。でもここからが本題だ。

ドイツに行く前はなにをしていたのか?

イギリスから帰ってきた僕は、地元で就職活動を始めた。以下のようないろいろな仕事に応募した。
大学の事務・図書館司書・映像制作会社・カメラマン・市役所職員・総合商社。
いま思えば、だらだらした就職活動だったと思う。受けた職種に統一感がないのは、やりたいことが明白でなかった証拠だ。
この中で商社から内定を貰った。そしてそのまま入社した。
商社の総務部で経理や人事の仕事をした。さらに翻訳や通訳の仕事もした。社内文書や自社製品の翻訳はなかなか楽しかった。通訳の仕事では社の代表とアメリカに行くことが出来た。仕事というよりも、自分のおじいちゃんと海外旅行に行っている感じがした。しかし海外出張は数年に一回あるかないかの仕事で、それを入社数カ月で経験してしまった。これ以上エキサイティングな仕事はこの会社ではもうないだろうな、そう思うようになった。
人事の仕事で従業員の履歴書や給与明細を見ていると、なぜか少し不安になった。その会社の給料は低く、昇給はあまり見込めない。雇用形態もあまりちゃんとはしていなかった。

そんな時に僕の友達がドイツ語のクラスを始めた。何の気無しに参加してみた。
始めてみるとおもしろかった。ドイツ語の複雑な文法―難解なパズルのような冠詞―は僕の興味を強く惹いた。
そこから趣味でドイツ語を勉強するようになった。文法の大枠だけを掴み、まずは言葉の骨組みとなる単語をひとつひとつ覚えていった。そしてyoutubeや映画やiosアプリのDuolingoでドイツ語の音に少しずつ耳や口を慣れさせていった。この時はまたドイツ語の複雑な格変化(主語とか目的格とかに関係する名詞や冠詞の変化)についてはまるで理解していなかった。分離動詞もうまく掴めないまま勉強していった。

仕事はそれほど大変でもなく、退屈が延々と続くような感じだった。ほぼ定時で帰宅して、平和に過ごしていた。給料は低いが僕はほとんどお金を使わないし、母親と一緒に住んでいたのでお金に困ることはなかった。それどころか一年で100万ほど貯金が出来た。僕がお金を使う事といえば、本代と飲み代くらいだった。

人事の仕事をしていた時に色んな国の働き方を調べてみた。ドイツ人はしっかり休むとか、オランダでは週の労働時間が短いとか、まぁ体の良い情報を集めてばかりいた。そんな情報と実際の状況に乖離があるとは思いながら、それでも羨ましいと感じていた。
実体験で言うと、僕がイギリスの小売店で働いていた時は、ホリデイ(有給)が20日くらいあった。公休と組み合わせると簡単に連休がつくれた。そして気ままに海外旅行を楽しめた。
日本の会社に入ってからはそんなことは簡単には出来ない。仕事も特別おもしろいわけではないし、仕事に対する執着は徐々に希薄になっていった。

ある朝、僕は目が覚めて、自分はドイツへ行くんだという事実を発見した。朝起きると全ての決意が出揃っている状態だった。
順番が逆だが、それに対して僕は理由付けをしていく。
仕事は特別おもしろいわけではない。ドイツ語は単純に面白いし、ドイツ自体もなかなかおもしろそうだ。当面生活出来そうなくらいの貯金はあるし、ベルリンなら英語でも仕事が見つかるはず。
26歳の時の僕は寝ぼけた決意でドイツへ行く。

ドイツではなにをしていたのか?

ドイツで僕が住むと決めた街はベルリンだった。旅行で一度来たことがあってなんとなく雰囲気がわかるし、他の街よりも英語が通じやすい、生活費が安い、それらの理由でこの街に住むことに決めた。
ベルリンについてすぐはクロイツベルクにあるホステル(旅行者向けの格安ホテルで、ルームシェアが基本)に泊まっていた。到着した次の日は時差ボケで早朝に目が覚めた。特にすることがなかったのでホステルにあるパソコンを使い、ベルリンにある語学学校を調べた。近所にひとつ語学学校がある。僕はそのままその学校に行って、窓口の人から学校についてのガイダンスを受けた。午後のクラスであれば、体験入学できる。また来るように言われた。適当に時間を潰し、午後のクラスを受けた。先生も良さそうだし、生活リズムを付けるのに学校はうってつけだと思いそのまま入学した。適当に1,2ヶ月受けて、その後は独学で勉強したり、就活をするつもりだった。
語学好きの僕は結果、一年間この学校に通うことになった。大学に進学するつもりもないのに、一番上のクラスまでストレートに上がっていった。この学校と、ドイツ語の勉強がドイツでの生活の軸となった。
その軸を補填するように、フリーランスで翻訳の仕事をしたり、レストランでバイトをしたり、家の管理の仕事をした。フリーの仕事をして、僕はやろうと思えば自分でもお金を稼げる。ひとりでこつこつやる仕事は性に合うと思った。
ドイツ語のクラスに通ってすぐあることに気がついた。僕が一日にドイツ語の勉強をできる時間、特に新しいことを理解できる時間は、ほんの2時間くらいしかない。それ以降は集中力がなくて頭にちゃんと入らないし、疲れるだけだ。
でも時間が余るから趣味でプログラミングの勉強を始めた。なぜか別の科目であれば、頭に入った。ドイツ語と並行してプログラミングの勉強をしていると、なんだかプログラミング言語も自然言語(英語とか日本語とか人が自然に発達させた言語)と似ているなと思うようになった。
日本語での書籍が手に入らない環境で、ネットを頼りにプログラミングの勉強をした。純粋に楽しかった。
ドイツでの生活は楽しかったが、僕は仕事のためのプロフェッショナルなスキルが欲しいと思うようになった。ベルリンには30歳ちょっと過ぎて、でも何をしているのかよくわからない人がたくさんいた。だいたいはアーティストとかDJとか、耳に聞こえのいい肩書を持っている人たちだった。でもその実収入は主にレストランの仕事からで、しかも作品を真剣に制作しているのはほんの一部の人たちだった。別に僕はそういう生活をしている人たちを否定はしないし、悪いことだとは決して思わない。ただ、自分がそういう風に年を取っていくことがうまく想像できなかった。幸いドイツはビザの取得がそれほど難しくない。今ドイツにこだわる必要はない。一度日本に帰ってプログラマとしてスキルを磨こう。プログラマになるためには、日本に帰国して就職するのが最短ルートだと思った。人事の仕事をしていた時に、日本に職業訓練制度があることを知った。プログラマのコースがあることも知っていた。
今回は目が覚めた時に唐突に現れる決意ではなかった。そんなマニュアル運転の決意を持ってビザの切れる3ヶ月くらい前には帰国を決めていた。もしドイツに戻ってきたければ、また戻ってこよう。大変かもしれないけど、やろうと思えば出来るはず。あるいは他に面白そうなところがあれば、どこか別の場所にだって移動してもいい。英語とドイツ語とプログラム、これだけあればどこでも生きていけそうな気がする。

プログラマになるという目標と正体不明の自信を持って僕は日本に帰る。

いまはなにをしているのか?

帰国してから僕は、計画していた通りに職業訓練を受けた。WEBプログラミングのコースでコンピュータ・サイエンスの基礎やPHP,JavaScript,MySQLなどを学んだ。そして在校中に就活を始めた。今回はやりたいことが明白だったので、就活は楽だった。札幌や東京の就活イベントに参加し、会社の情報を集めた。そして就活を始めて2周間で内定を貰い、就職退校した。
会社はエンジニアの派遣駐在の会社で、待遇は良い。コンプライアンスがしっかりしているところがとても魅力だ。残業代は1分単位で全てでるし、ハラスメントへの取り組みも行っている。
最初に配属された現場は運用系だった。コードを書く機会はない。僕は未経験で入って、なおかつスキルも低い。わがままは言えないから言われるがまま引き受けた。でも僕はコードが書きたい。そのためにドイツから帰ってきた。週末にはスクールに行ってJavaを書いている。それで気を紛らわせている。
今の現場はそろそろプロジェクトが畳まれる時期だ。そして現場は縮小傾向にある。今日正式にプロジェクトから離れるように通達された。会社の営業と話した感触から、次は開発の現場に行けるような雰囲気を感じ取った。
どうなるかわからないが、行けるところまで行ってみようとは思う。それで行き詰まるようであれば、その時にまた次にどう出るか考えよう。
ここが僕がいまいる場所だ。

おわりに

ドイツから帰って来て一年後、札幌でエンジニアの仕事をしている。来年くらいならまだ札幌で似たようなことをしていると思う。再来年のことは自分でも予想が着かない。大学を卒業して以来2年と同じ場所にいたことがない。常に僕は移動し続けている。移動する人生の中で、毎回ゼロからなにかを考えたり、決めたりする、そういうのが僕には合っているのかもしれない。
予想したよりも文章が長くなってしまった。最後まで読んでくれる人はいるのだろうか。「変化を求める人」を読者として書き始めて、僕の経験を一つのサンプルとして残したかった。そういう価値がこの文章にあるのか自分でもわからない。でも、もしこれを読んでなにかあなたにとって有益な情報がひとつでもあれば僕は嬉しい。

コメントを残す

― Sponsered ―