【したたかに、それでも生きる】悪童日記【小説家アゴタ・クリストフの処女作】

【したたかに、それでも生きる】悪童日記【小説家アゴタ・クリストフの処女作】

まだ幼い双子が母親に連れられて来たのは小さな町にある祖母の家。まわりから魔女と呼ばれる祖母のもとへ、その二人は疎開児童として預けられた。

戦争の中、爆撃や食糧難から逃れるために、大きな町から小さな町へと母親に連れられてきた。母親は去り、双子はおばあちゃんのもとへ残された。

「ぼくら」はそこで、したたかに生きていく。

 

二人はおばあちゃんに従うことを拒否した。労働を全くしなかったし、おばあちゃんのいうことは聞かなかった。しかしそうしないとおばあちゃんは二人に食べ物も与えてはくれないし、家にもいれてくれなかった。

そこで二人は労働を受け入れた。その日から彼らにできる事であればどんな仕事でもするようになった。

 

双子は体を鍛える。お互いにベルトで叩き合い、手を火で焼き、体にナイフを突き立て、その傷口にアルコールをかける。痛みを超えるまで双子は体を鍛える。

双子は精神も鍛える。二人はまわりの人からの心無い言葉や罵詈雑言を言われると膝が震えたり、顔が赤くなった。双子はお互いに罵りあう。言葉が意味を持たなくなるまで二人はお互い罵りあう。しかし愛ある言葉も二人の心を揺らす。彼らは母親からの愛情のこもった言葉を形骸化させるため、罵りと同じ要領で愛ある言葉の意味がなくなるまで二人でその言葉を繰り返した。

 

二人は文具店から紙とノートと鉛筆を手に入れ学習をする。辞典で言葉の意味を調べたり、聖書を使って読み書きの練習をする。

双子は互いにテーマを出しあい、下書き用の紙に作文をする。そしてその作文が基準を満たせば、大きなノートに清書をする。その大きなノートに書かれたものが、この悪童日記だ。

大きなノートに書く作文には満たすべき基準がある。そのルールは事実しか書かないということだ。そのルールを噛み砕くとこうなる。

・おばあちゃんは魔女に似ている。こう書くのは主観であり事実ではないから不可。

・おばあちゃんは魔女と呼ばれている。これは事実なので可。

曖昧で定義できない感情は書かず、事実について書くにとどめるのをこの双子は良しとしてノートに作文をしていく。

 

双子には確固たる基準を持っている。二人は子供ながらに、いや子供であるからこその倫理観に従って行動する。そしてその倫理観は傍目から見ると、残酷に見えることもある。こころが無いようにみえる。一般的な善悪には沿わず、独自の視点で双子は世界をみる。それは無垢であり、過激である。

その二人の目を通し、体験は綴られる。戦争、虐殺、死、安楽死、病気、差別、宗教、性、教育、いじめ、貧困、欲望などの幅広い事柄が二人へ近づく。そして二人はそれに応える。

悪童日記はハンガリー出身の作家、アゴタ・クリストフによって書かれた小説だ。疎開児童が自らの体験を綴るかたちで物語が書かれている。細かい章立てで小説は構成されており、寸劇があつまり流れのあるストーリーを構成している。主語が常に「ぼくら」なのが非常にユニークだ。

疎開児童というととっつきにくいかもしれない。でもそれでもぜひ手を伸ばしてみて欲しい。すごく芯のある話だから。

 

 

 

 

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