フィンランドのドキュメンタリー映画「365日のシンプルライフ」を見て、モノと幸せについて思ったこと。

フィンランドのドキュメンタリー映画「365日のシンプルライフ」を見て、モノと幸せについて思ったこと。

 

はじめに

こんにちは!!映画大好きケイゴです。
突然ですが、みなさんの部屋には今どれくらいの「モノ」がありますか?
おそらく自分でも把握できないくらいたくさんのモノに囲まれているのではないでしょうか?
今回は僕が「365日のシンプルライフ」を見て、自分が必要とするモノについて考えてみました。

どんな映画?

ヘルシンキ在住、26歳のペトリは、幸せを見つけるためにある実験をすることにした。

ルール:

  • 持ち物はすべて倉庫に入れる
  • 持ってこれるモノは一日にひとつだけ
  • 一年間続ける
  • 一年間なにも買わない

こんなにたくさんのモノがあるのに、どうして自分は不幸なのだろう。
ペトリはその疑問から出発し、自分が本当に必要とするモノを見つけ出す。

自分がなぜ不幸なのか、考える場所が必要となった

考えるためのスペースを確保するため、ペトリはモノを排除した。
たしかに部屋にテレビやパソコンや本屋や漫画やCDがあると暇を潰せる。
でもその娯楽で自分をごまかして、本当に必要なモノが見えなくなる。

それらの「モノ」を持ってあなたは幸せですか?

なにが本当に必要なのかは、自分で見極めないといけない。
自分がソレを本当に必要しているかどうかは、一度手放すと簡単に分かる。
自分が本当に必要としているモノは、自分の手の中に戻ってくる。
これは僕の経験から得た教訓だ。
ロンドンにワーホリで行った時はスーツケースひとつだった。
携帯やパソコンもなしで行った。
音楽もやりたいと思っていたけど、楽器も持たずに行った。
でも全部自分の手の中に入ってきた。
必要なモノは自然と戻ってくる。

「モノ」を持つことは幸せか

モノがなにもないと不幸かもしれない。
たとえば、家にベッドがない。
冷たい床で寝るのはつらい。
でも最低限生活できるモノがあれば、それでいい。
モノがあると、快適に過ごせる。
快適に過ごすことは出来るが、幸せにはしてくれない。

「モノ」を買うために働いているの?

お金があれば、モノが買える。
でもたくさんモノがあっても、幸せにはなれない。
幸せであることは、人生にとって大切だ。
幸せであれば、なにもいらない。
そう言ってしまっても、言い過ぎではないと思う。
頑張って働いたお金で、モノを買っても満たされない。

僕にとって必要なモノはなんだろう?

僕にとって大切なものは「自由」だ。
たとえばコミュニケーションの自由。
友達と連絡を取るのにパソコンや携帯がいる。
だから僕にとってiPhoneは必要なモノだ。
モノの奥には人との交流がある。
僕の人生にはこれが欠かせない。

人には人が必要

「いま一番恋しいものはなに?」ペトリのいとこのピック・イェッセが尋ねる。
ペトリが返事に困っていると、ピック・イェッセがこう言う。
「恋人はいるの?それが恋しいものだね。まだ見つけていない。いつ、見つけるつもり?」

ペトリが学んだこと

生活に必要なモノは100個くらいだと分かった
その次の100個は生活を楽しむため
所有とは責任であり
モノは重荷になる
どんな重荷を背負うかは自分で決める
ペトリは実験を通してこう学んだ。
自分にとってなにが必要かそれを見極め、自分で選ぶこと。

おわりに

僕はいままで20十カ国以上旅をしてきた。旅をするときはカバンひとつだ。
旅をしているときはなにもいらない。
普段の生活で必要と思えるモノは、旅にはいらない。
からだひとつと、バックパックひとつで十分だ。
きっと僕らの人生も同じようなものだと思う。
人の人生は移動し続ける。
それは旅と変わらない。

 



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